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特定非営利活動法人 日本アンリ・ファーブル会 ~ 虫の詩人の館 ~
「虫の文学誌」発刊
奥本館長が「集大成の一冊」と自ら称するエッセイ。
中国や日本、西欧の古典から現代文学まで渉猟し、虫に関わる箇所を抜き出し、人間とは何かを考察するエッセイです。
帯コメントは甲本ヒロトさんです。
※ファーブル昆虫館でもご購入できます(定価3,700円+税)
館長の部屋(ブログ) 2019
- 12月15日 ~ クリスマス会 ~
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12月8日はファーブル会昆虫塾のクリスマス子供会。
例年通り、千駄木2丁目の「千二会館」が会場だが、
60人以上も申し込みがあっては、いっぱい、いっぱいである。
キャンセル待ち続出の盛況になった。
人気の元は、ご馳走ではない。やっぱりビンゴゲームの賞品だろう。
何しろ最大の目玉は、ニューギニアのゴライアストリバネアゲハという贅沢さ。
その他にもモルフォチョウや巨大ナナフシの標本など、スタッフが用意したプレゼントが盛りだくさん。
ビンゴのカードに穴を開けながら、「リーチ・マイケル」などとはしゃいで、興奮していた。
子供の熱気はすごい。 - 11月30日 ~ 偶然が重なった少年 ~
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11月30日の土曜日、ゆうた君という子がお父さん、お母さんと一緒に来館した。
「家の近所で採りました」と言って見せてくれたのは、変わった形のカブトムシ。
アクリルのケースを上手に標本箱にして、納めてある。ゆうた君は、この昆虫館の常連だ。
ちょっと見ると、角が伸び切らなかったオスのカブトムシのようだが、ヒメカブトの矮小型のようでもある。
ヒメカブトは東南アジア産の虫であるが、路上で死んでいたのを見つけたそうだ。
この日はちょうど昆虫館で、東京農工大の「農工 虫の会」の人たちが機関紙の編集会議を開いていた。
昆虫王のN氏もいたので、彼を連れて意見を聞いてみた。
結果はやっぱりヒメカブトということになった。
近所で誰かが飼育していたものが逃げ出して、寒さにやられてしまったのだろうか。
それにしても一見しただけでは日本のカブトムシ。何かが違うとすぐわかったのだろう。
- 11月10日 ~ ヘラクレスオオカブトの飼育教室 ~
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すごい。
この昆虫館で、子供達にヘラクレスの飼育教室を開くことになるとは。
子供の頃、このオオカブトについてはペン画の名手、樺島勝一が描いた絵葉書が唯一の資料で
小学四年生の私は、「いったい実物は、どんな甲虫なのだろう」と憧れたものである。
その次には、野鳥で有名な、中西悟堂が紹介した、本の口絵だった。
それは、バナナの餌にむしゃぶりつく、ヴェネズエラかどこかのヘラクレスの写真だった。
その頃、外国の昆虫標本を実際に見る機会は滅多になかった。
生きた外国産甲虫の輸入が解禁され、子供のペットのように飼育されている今は、夢のような時代である。
実物を買うことによってしか学べないことがいろいろあるだろうと思う。
- 11月2日 ~ イシガキアゲハ ~
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9月のインセクトフェアで、今石垣島に住んでいるという青木さんが、クロアゲハの幼虫を売っていた。
「これ、赤紋が二重になりますか?」と聞いたら、
「親はそうじゃなかったですけど、運が良かったら・・・・」という返事。
ちょうど昆虫館のレモンが茂り過ぎてるので、飼うことにした。
育ち方は順調。十匹の幼虫から九つの蛹ができた。一匹はどっかにいっちゃった。
ちょうど息子が腕を骨折して、入院。
私も一緒に泊まったりしていて、ある日うちに帰ってきたら、一斉に羽化していた。
なんだか早い。
私としてはマメに世話をした方だったが、最後にちょっと手抜きをして、小ぶりかなあ、という気がした。
それはともかく羽化したチョウは、なんと、オスばっかり。
石垣島のクロアゲハは尾状突起が極端に短くて、本州のクロアゲハとは翅型が違う。
退院そうそう殺生をして、展翅することにした。
- 9月14日 ~ 初秋の乗鞍岳と入笠山 ~
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9月の5日とその翌日、思い立って、信州に行った。クジャクチョウが見たくなったのである。
新幹線とレンタカーを使えば、楽チン。乗鞍中腹の番所(ばんどこ)という集落を目指した。
古い話だが、1964、5年に、私はここの学生村で、夏を過ごした。
そして、初めて、クジャクチョウ、キベリタテハ、スジボソヤマキチョウなど、
憧れのチョウに出会うことができたのである。
夜は、窓を開け放ち、灯りに来るガを採集した。
ジョウザンヒトリなど、めぼしいものを選びとって、あとは翌朝、箒で掃いた。
学生村の面影はもうなかった。代わりにドイツ語の名前のついた、小綺麗なホテルが建っていた。
・・・と、話は長くなるけれど、翌日、入笠山のゴンドラに乗り、降りたところで、マツムシソウに吸蜜に来ている目的のチョウをゆっくり撮影した。 - 8月29日 ~ ドリアン ~
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果物の中で何が好きか、と聞かれたら、桃も柿もぶどうも好きだけれど、
特別よそいきに好きなのは、やっぱりドリアンである。
ねっとり、バターと脂肪を練ったような、いや、植物性のフォワグラのような濃い味わいは、
なんとも言えない。
私は、オランウータンのようなドリアン好きである。
タイやマレーシアに行って、ドリアン専門の店で買うのだが、ホテルへの持ち込みは禁止されている。
異臭のせいである。
日本でもこの頃は、売っていることがあるから、家族の顰蹙を買うのを承知で買ってくる。
でもやっぱり、熟し方が難しくて、現地で食べるほどのうまさはない。
未練がましく、食べた後の種を植えてみた。
大きな種である。発芽率が良さそうに見えた。
芽が出た。
種の本体から出た芽が、いっぺん土に潜ってからぐるりと丸く覆いかぶさってくるように見える。
その後は意外と普通の姿になった。
ドリアンの盆栽でも作ろうか。
- 7月18日 ~ クマゼミ ~
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今週は、どうしたことか、関西に行く用事が二件。
大阪と京都。行ってすぐ帰って、また行く。
その度に、新幹線の2時間半を我慢する。
つい最近まで自分が大阪の大学に、毎週通っていたなんて信じられない。
大阪行きのほうはもう済んだ。
市内の真ん中の川の傍で、昼間に、クマゼミがシャー、シャー鳴いていた。気温、摂氏三十度。
ところが、帰り、東京に近づくにつれて天気が悪くなり、着いたら小雨だった。気温二十二度。
電車の中で、優先席に座ってゲームに夢中の女子高校生と、おじいさんが喧嘩をしていた。
おじいさんは、喧嘩慣れしている女子高校生にはかなわないようだった。嫌な光景。 - 7月7日 ~ タガメ ~
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タガメが昆虫館にやってきた。
ボランティアの大橋さんのお家で孵ったもの。
今日、持ってきてくださったのが、すぐにお嫁に、そして婿に行ってしまった。
たくさん孵化したそうだが、生き物を飼うのが上手な人がいるものだ。
生き物に対するセンスがあって、まめに世話しないとこうはいかない。
それにタガメのような肉食性昆虫ともなると、餌代がバカにならないだろう。
まだ、コオイムシぐらいの大きさ。
大きな成虫のタガメになるまでは、前途遼遠である。 - 6月22日 ~ 深夜の放送局 ~
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毎月、第3火曜日は、11時過ぎからNHKの「ラジオ深夜便」に出演することになっている。
これが、スマホにNHKから電話がかかってきて、直接話すという方式なのだが、
(その方が、録音より臨場感があるとかで)
我が家の雑音がはいるし、第一、自分が何を言い出すかわからないし、ラジオでそのまま放送されるのはなんとなく不安で、スタジオで収録する方式にしてくれ、とかねがね頼んでいた。
6月18日はようやくその願いが叶って、深夜のスタジオ入り。ラジオは13階で、なんだか縁起が悪い。
部屋に入って、さあ、録音、という時に、カタカタという音。
「なんでしょうねえ?」と聞いたら「風でしょう」という。
そこへ職員が入ってきて「地震です。新潟で震度6強」 もはや、「虫愛づるムッシュー」どころではない。
でも、せっかくきたのだから、録音だけは、と、工藤アナウンサー相手にモンシロチョウの話をしてタクシーで帰ることに。
12時過ぎの放送局の中はだれもいず、ガランとして迷路のよう。こんなところ、一人ではとても出口までたどり着けない。
一説によると、クーデタがあった時に、武装した反乱兵が中枢部にたどり着けないようにと、通路を複雑にしてあるという--まさか。
ラジオ・テレビの発達で、増築を重ねているうちにこうなったのだろうが、帰りは、なんだかオバケが出そうだった。
廊下にいっぱい貼ってあるテレビドラマのポスターが、人の顔ばっかりなのもいけない。
- 6月1日 ~ 初夏の再発見 ~
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春先、3月の初め頃、街中で見つけて嬉しいのはモンシロチョウである。
その頃はどこででも、紙くずのように飛んでいるのが見られるけれど、そのうちぱったり姿が消えてしまう。
それから今度は5月の半ばになって、またちらほら姿を見かけるようになる。
今日6月の1日、動坂のバス停で5分ほどのあいだに2頭を見かけた。
こんなに、大根も、キャベツの畑もないところで、アブラナ科の雑草を食べているのだろうか。
餌がよく足りるものだと思う。丈夫な蝶である。
一度、昆虫館のギョボクの周りを飛んでいるのを見たことがある。
ギョホクはツマベニチョウの食草だが、たまにモンシロチョウも食べるらしい。
- 3月23日 ~ メーリアンのイモムシ変態図集 ~
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栃木にマリア・シビラ・メーリアンの有名な図集の古い版本を持っている方がおられる。
メーリアンは、3百年も前に、オランダに住んでいた女性で、幼い娘と二人、勇敢にも南米のオランダ領スリナムに渡り、現地の昆虫や、爬虫類、両生類の精密な絵を描いた。
虫は、それぞれの生きたものが、植物に止まらせてあって、その描写に生き生きとした実感がある。
それもそのはず、彼女は、黒人奴隷が森の中から取ってきた幼虫を飼育して写生し、記録をつけているのだ。
何しろ、当時、西洋人は、蝶の蛹が羽化してくることをキリストの受難と解放に例えたりしていた時代である。
普通の画家が描いた蛹の図には人の顔が描いてあったりした。メーリアンの視線は時代を超えているのである。
原画は、羊皮紙に書かれた大きなもので、ロシアの国宝級の絵であるという。その古い版画を見せてもらった。
いずれ、日本語版が出版されるらしい。こういうものが出版されるとは、日本は大した文化国家ではないか。
- 2月17日 ~ クワガタ飼育教室 ~
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外国産クワガタの輸入が許可された1999年から、飼育の工夫をしてこられた佐藤敬さんが講師である。
我々にとっては昔からの仲間だ。
ファーブルの「昆虫記」をよく読んでおられて、「自分の目で確かめたことしか言わない」ということをしっかり守っている。
そういえば佐藤さん一家とは、一緒にファーブルの土地を訪ねて、南フランスにも行った。
その時のお子さんが、大きくなって一緒に来られた。見上げるような大男になっていた。
横で聞いていればすぐわかるように、実際に苦労した人独特のこだわり方の、熱血授業である。
しかし、聞いている子供達の方もクワガタに詳しい。
クワガタ幼虫と、カブトムシ幼虫の違いは?と聞くと、「毛!」とすぐ答えが返ってくる。
卵から孵った幼虫が、土の中に潜って行くときにこの毛が役に立つのである。
1時半から4時近くまで、文字通り、熱い授業だった。 - 1月12日 ~ ランボー再読 ~
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この頃はもっぱらランボーを読んでいる。
アルチュール・ランボーは、フランス19世紀の詩人。
パリの詩壇に彗星のように現れ、数々の驚くべき作品で、眩しい光芒を放ったが、
二十歳前後で突然、詩を捨てて世界を放浪し、アビシニアの武器商人となって砂漠に姿を消した。
そして、三十半ばで、マルセイユの病院で片足を切断されて死んだ、まさに天才詩人として知られている。
あのアクション映画のランボーとは別人である。
フランスの詩人の方は、Rimbaudと書く。
そしてシルヴェスター・スタローンが演じた方は、Ramboと言う綴りである。
ランボーの詩を翻訳し、その生涯を語るために、今私は一生懸命だが、これが、しんどいけれどやりがいがある。
集英社の季刊誌「kotoba」に連載することになっていて、第一回目を書き終えたところ。
乞うご期待。
(写真はWikipediaより)