館長の部屋(ブログ) ~2013

11月9日 ~ 栗本丹洲「虫豸帖(ちゅうちじょう)」と『ファーブル昆虫記』 ~
「東京国立博物館」で講演会をおこなった。
ファーブル館の仲間達も大勢集まってくれた。
7月1日 ~ アゲハの里親 ~
「昆虫館でアゲハのイモムシ分けてもらえるという話を聞いたんですが・・」という電話がかかってきた。
なるほど、幼虫を飼ってみたいが手に入らない、という人もいるのである。
一方でベランダのサンショウやグレープフルーツの葉を食べられて駆除するのに困っている、という人もいる。
「料理用に使おうと思って鉢植えにしているサンショウの葉を丸坊主にされちゃって、しょうがないから箸ではさんで捨てるけど、しばらくすると、また大きな緑色の幼虫がせっかく伸びた新芽を食べてるんですよ」
このファーブル昆虫館がアゲハチョウの養子の世話をする相談所のようになるのもいいかもしれない。
アゲハの幼虫を得るのなら、カラスザンショウやレモンに産卵に来ている母蝶を捕まえて卵を産ませるのが一番だが、クロアゲハ、カラスアゲハならまだしも、わざわざナミアゲハに産卵させるのは面倒という気もするが。
「天は虫の上に虫を造らず」と言うけれど、どうせ手間をかけるなら、やっぱりナミアゲハよりクロ、カラスの方がいい。
6月30日 ~ カマキリ飼育装置 ~
カマキリの初齢幼虫をもらった。
体長が細長いところを見るとオオカマキリのようである。まず牛乳を飲ませてみるとよく飲む。
タッパウェアに入れておいたが元気がよい。
そのうち、うちのマンションの部屋にショウジョウバエが目につき出した。発生源はパラワンヒラタクワガタの籠らしい。
ティッシュペーパーを丸めて入れておいたのをクワガタがぐちゃぐちゃにし、それに餌のゼリーが混じって、甘酸っぱい匂いで発酵し、ショウジョウバエ培養装置のようになっている。
ふと思いついて、そのクワガタの籠にカマキリの幼虫を入れてみた。
籠の蓋の目からショウジョウバエは自由に出入りすることが出来るけれど、カマキリの幼虫は逃げられない。
カマキリは蓋のうら側に止まっているから、ハエを捕まえるチャンスもあるだろう。
これでしばらくハエを食べてくれれば、めでたくカマキリ飼育装置の完成ということになる。
6月30日 ~ コクワガタを捕えたシオヤアブ ~
「柏市の近隣の公園で3センチ以上のコクワガタを抱えたシオヤアブに遭遇しました。力持ちですね!」(ゆうた)
というメールがファーブル昆虫塾に届いた。
ムシヒキアブ、シオヤアブの仲間は勇壮な虫で、アッと驚く大型の獲物を捕まえることがある。
夏の暑い日、焼けつくような荒地のキク科の雑草などに止まって獲物を待っている。複眼は青や緑に光っていて「らんらんと輝いている」という感じ。
獲物が飛んで来ると、いきなり襲いかかって一撃で斃(たお)してしまう。鋭い口吻をつき立てるのである。
その獲物はシオカラトンボやヒグラシなど、相当大型のものをも含んでいる。センチコガネのように硬い翅鞘(はねさや)で護られている甲虫でも、背中の合わせ目のあたりに口吻を「ぐさっ」と突き立てているようである。
この仲間には、本州にもチャイロオオイシアブ、オオイシアブ、シオヤアブのような強そうな、そして魅力的な種がいるけれど、南西諸島にはメスアカオオムシヒキアブという、体長41ミリにも達する巨大種がいて、これが日本の最大種のようである。
それにしても、こういう虫は、相手が強いか弱いかを一瞬で判断するようだが、その基準は何なのであろうか。
虫に訊いてみなければわからないことであるけれど、訊かれた虫の方でも、「さあ判りません」とか、「何となく判るじゃありませんか、カンですよカン」とか応えるに違いない。
もっとも、相手の力を読みまちがったら、こっちがやられる。虫は命がけである。
野生動物は皆そうであるが、ライオンのような高等な大型肉食獣でも獲物を狙うときは絶対無理をしない。たとえ闘いに勝っても、ケガをしたらそれで終わりだからであろう。
相手が強いと思うと意地を張らずにさっさと逃げる。人間でも格闘技の鍛錬を積んだ人、剣道の達人は無用の争いは避けるようである。
6月29日 ~ 飛ばない天道虫 ~
朝日新聞の「天声人語」に、ナミテントウの中から、あまり飛ばない系統のものを選び出してビニールハウスの中でアブラムシ退治に利用する話がでていた。
よく飛ぶのはすぐ居なくなってしまうが、飛べないのは居残っているという。
それでもアブラムシを減らすことは出来ても、根絶は出来ないだろう。天敵は害虫を皆殺しにはしない。
しかし虫屋の中には、この “改良された” テントウムシこそが生態系に悪影響を与えると批判する人もいる。まあ、農薬を散布するよりはまし、というところか。
アブラムシの無翅型、有翅型のサイクルは複雑だが、まわりから隔絶された思わぬところに突然大発生する。風に飛ばされて来ることが多いようだ。
私の住んでいるのは31階という地上から高いところだが、そのベランダの鉢植えのバラにもアブラムシは発生する。
バラの葉や茎がベトベトになって光っているのは、アブラムシの “甘露” であろうか。虫嫌いの園芸家ならすぐ薬をかけるところ。
しかし、よくしたもので、そういうところにもすぐテントウムシが飛んで来る。そしてアブラムシはいつの間にかほぼ一掃されている。
飛ばないテントウムシにこういう出張サービスは無理であろう。
6月4日 ~ むしの日 ~
「虫塚」を建立して、虫屋皆で手を合わせたい──。
昔、読売新聞に「虫の春秋」というエッセイを連載していた頃、そう書いたことがある。もう30年も前のことである。
我々虫屋は、無益な殺生をするつもりはなくとも、小さい時からずっと数えると、ずいぶん虫を殺してきている。きちんとラベルをつけて永久保存できるような標本の他に、いたずらにコナムシ、カツオブシムシの餌にしてしまった標本もあるし、三角紙に包んだまま、とうとう駄目にしてしまった蝶や蛾、冷蔵庫で腐らせてしまった甲虫などもある。
いや、それ以前に、幼児の頃、虫捕り籠に入れたまま死なせてしまった蝉や蜻蛉、カブト、クワガタがあるし、蟻を踏みつぶしたこともある。それらの虫の命が無駄になったとは思わない。
その死にゆく姿が幼い頃の我々に何らかの印象を与えたことは確かであって、決して無益な殺生ではなかった。
我々に命の素晴しさとともに、死というものを最初に教えてくれたのは虫ではなかったか。
それはともかく、江戸時代の人々に倣って虫塚を建てたい、という思いはつのるばかりであった。

その願いがとうとう叶うことになった。
私が日頃そんな話をするばかりで何もしないのを柿澤清美さんが聞いていて、もちまえの実行力を発揮して、実現して下さったのである。
柿澤さんの人脈の中に、実家がお寺の後藤まる美さんがおられたことも幸運であった。後藤さんが識り合いの石屋さんに頼んで真鶴の小松石を調達して下さった。
石碑として、まず最高の材であると思う。虫屋仲間が進んで募金に応じて下さった。石碑の裏に「六月四日建之」と書いたが、毎年この「むしの日」に虫屋有志が集いたいと思う。
字は私が、家にある一番太い筆で書いた。昔と違って下手な字でも恥ずかしいなどと思わなくてもすむ。今はいい時代である。

6月15日、アンリファーブル会の総会の日に「蟲塚」のお披露目の形になった。当日は小学館社長の相賀昌宏さんが来て下さった。
ファーブル会はこの方に、多大のお世話になっている。大野正男先生に乾杯の音頭をとっていただいたついでに、「蟲塚について一言」とお願いしたら、ずいぶん詳しい故事来歴をその場で話して下さった。いずれ蟲塚について書いていただけないものかと思う。

6月16日、天王寺住職によって、めでたく「蟲塚開眼式」がとり行われた。これで「ファーブル昆虫館」にもどっしりと魂がこもったような感じがする。
4月21日
静岡県清水市の静岡自然学校資料センターで、「自然好きの子供を育てるために」という題で講演。
「静岡県自然史博物館ネットワーク」という会のお招きによる。
高橋真弓先生と静昆のメンバーがその夜の宴会にも呼んで下さり、顔見知りの虫屋が多くて、楽しい1日であった。
~朝日小学生新聞~
「朝日小学生新聞」の切り抜きを見せてもらった。
会員の小学4年生、麻由子さんが「アブライモモムシ」という物語りで、「朝日小学生新聞賞」をもらったという記事。
読んでみると、小説として巧みな作品で感服。3月15日が授賞式。アンリ・ファーブル会は人材が豊富である。
4月1日 ~越生昆虫館「虫と自然の館」開館式典~
埼玉昆虫談話会と埼玉県越生町で、越生梅林の中に建つ旧梅園保育園を利用して、「虫と自然の館」を開館。
その開館式典に招かれ、講演をすることになった。
梅林として、とても有名な地だが、今年は梅が遅れに遅れ、このグランドオープンの日前後が満開。3月31日で梅祭りが終了ということであった。
式典終了後、ファーブル会の有志とともに懇親会に招待していただいたが、見事に咲いている梅の花に囲まれて、古い虫屋仲間とも再会でき、楽しい1日であった。
それにしてもどこかで聞いたような名前である。こういう施設が全国に増えるといいのだが。
少子化で廃校になった幼稚園、小学校の建物を博物館として活かすのはうまいやり方である。
2月1日 ~千駄木小学校~
久しぶりに千駄木小学校の校庭に行ってみる。
あれっ、と思ったのは、せっかく伸びたキハダやブッドレアの枝をチョキチョキと剪定してあったことである。誰かまめな人が手入れをしたらしい。
庭の木でも、少し伸びると切らずにはいられない、という人がいる。
高校生などが髪を伸ばしていると「切れ!」と言っている大人がいるけれど、植物に対しても、きちんと切りそろえないと気が済まない人がいるわけである。
植えたこちらとしては、ケヤキやイチョウが繁ると植えたものが日陰にもなるから、できるだけ上に伸びて大きく育って欲しいのだが、仕方がない。
自分の土地なら思い通りにもなるけれど、学校の校庭に何とか虫を呼びたいと思っても、色々な考え方の人がいて、いろいろなことをするのは当然であろう。
大事なのは伐られても伐られてもあきらめないことである。
アシタバ、ウマノスズクサなども植えたが、アシタバは健在であった。ウマノスズクサは地表には何も無くなっている。
春になったらまた芽が出て来るはずだが、巻き付いていたハリガネの輪も持ち去られていた。エノキは少し大きくなっていたから、芽が出たら、冷蔵庫のオオムラサキの幼虫をたからせるつもりでいる。
去年は袋ごと、あるいは袋だけ無くなっていたが、今年は何とか守りたい。
~昆虫研究ファーブル大賞~
会員からの要望が多かったので、今年から「ファーブル大賞」を始めることになった。
応募してくれた子供たちとも昆虫標本作製教室やクリスマス会などを通じて馴染みになっている。
今年、カミキリムシの標本を提出してくれた弘世賢太郎、俊太郎兄弟の父君、弘世貴久氏は、御自身がカミキリ屋で、忙しいお医者様であるから、一時虫は中断しておられたようだが、子供と共に虫屋復活ということのようである。
弘世先生のそのまた父君は、弘世徳太郎と言う方で、知る人ぞ知る虫屋である。私なぞの大先輩に当られ、『赤道の旅』という虫随筆もある。つまりこの子たちは虫屋の3代目なのである。
藤岡知夫先生によると虫屋はメンデルの法則で言う劣性遺伝であるという。
とすれば、3人子供がいても1人ぐらいしか虫屋にはなってくれない計算になるけれど、虫屋としての羽化率は、実際にはもっと低いかもしれない。
3代目の虫屋は、従って稀少種に属する。かくいろ我が家の双子の中、1人だけがひょっとしたら虫屋になってくれそうな気がする。
虫屋の英才教育をしようにも本人が「イヤ」と言ったら強制するわけにもいかない。強制なんかすればよけい嫌になるだけである。
いずれにせよ、「ファーブル昆虫館」2階の収蔵庫にある3千箱の標本は誰かに引継いで欲しいので、そのためにもファーブル会の活動は活発に続けていきたいと思っている。

今年も早、11月。アンリ・ファーブル会の会員に「会費納入願い」、新しい人に「入会願い」の手紙を出さねばならない。
遠くにいて、会の催しものに参加できない人のために、せめて本でも送ろうと、『博物学の巨人アンリ・ファーブル』を送る手配を出版社に頼んだら、私がぐずぐずして手紙を送るのが遅れているうちに、本の方が先に届いてしまった。
いきなり本を送られた人は「何だろう?」と思われたに違いない。
ファーブル会でも事務量は多く、結構大変だし、これで土・日に館内にいてくださるボランティアの方々が来て下さらなくなったら、私が学校を辞めて店番をするか、土日の開館を中止するしかない。
とにかくNPO活動を停止したら、このNPOの資産である昆虫館の建物は、東京都に没収されることになっている。それだけは御勘弁。
10月30日(日) ~光が丘公園 秋の昆虫採集会~
練馬区の光が丘公園で子供たち中心の採集・観察会。
地元の大須賀さんがここで保護活動をしておられ、役所ともまめに交渉に当たっている様子。大変な努力であると思う。
爽やかに晴れて快適な一日。この公園の広大なのに感心する。多くの人々がこの近所に住んでいる。
公園とはどういうものであればよいのか───利用者の考え方、感じ方、関わりの持ち方は実にさまざまであるらしい。
また役所の関わり方も、住民の働きかけによって大きく影響を受ける。
しかし利用者の中で、多様な生き物がたくさんいれば楽しい、と感じる人はあんまり多くないようである。
鳥や虫や草木については、なんとなく「在るな」ぐらいで細かく見ている人は少ないし、その生態なんかにも関心がない。
虫が出ると薬を撒け、木が枝葉を伸ばすと伐れ、という人が多い。
だから、カラー舗装と芝生の、栽培植物のポット苗をしょっちゅう植え替える、すっきりした鳥も虫もいない公園ばかりになる。
公園の隣りに引っ越してきた人が「家が暗くなるから木を伐れ」、というのは話が逆なのだが、公園を管理する役所としても、うるさく言って来る人の要求に応えることが住民へのサービスになると思うのか、大木を大胆にずばりと伐り倒してしまう。あるいは彼ら自身もあまり旺盛に植物が繁茂するのは嫌なのかも知れない。
役所に命じられた造園業者は木を伐って除去するのが仕事になる。一度仕事になってしまうと、毎年一定の仕事があるのは誰でもありがたい。
クヌギやケヤキやトチノキの大木が枯れてくると、利用者の中にはよく見ていて、「倒れると危ないから伐れ」という人がいる。
立ち枯れにはカミキリムシ、タマムシ、クワガタムシなどの幼虫が潜んでいるのだが、事故が起きると大変だから、と、伐る。
次には伐ったものが目障りだからと、木をその場に倒しておかず、ゴミ処理場まで運んで焼却する。
せめて甲虫の幼虫が大きくなるまでその場に寝かせておいて欲しいところだが、伐った植物はゴミと感じているようで、葉っぱなども積み上げておけばハナムグリなどが発生するのだが、わざわざ人手をかけてビニール袋に詰め、焼却場に持って行く。
私が埼玉大学にいた時は、落ち葉の利用について、事務の人に理解してもらうのに苦労した。
チャドクガの季節になると「今年は発生してませんよ」と言っても、「予算を執行しなければなりませんから」と言って業者に薬剤を散布させる。
そのあたりの虫は、何もかも一時全滅してしまうのであった。

光が丘でもシャクナゲの花が咲く「まあ、綺麗」と切って持って帰る人がいるそうだ。フキが出ると大量に取る。
お店で買えばいいのに、と思って注意しても「何が悪い」という態度。公園の近くに住んでいると入会権(いりあいけん)でも、自分たちだけに発生すると思っているのか、山野草も掘って持っていってしまう。
自分の家に飾って「得した」と思うのであろうか。公園で花や珍しい植物を見つけると、取らないと損、と思うのだろうが、家にもって帰っても大事にしないので、すぐに枯らしてしまうのに・・・と文句を言いたくなる。
しかし、我々が子供と一緒に昆虫採集をしているところを見て、登山帽にスニーカーのおばさんたちは、我々をこの、草木や山野草を持ち帰る人と同一視しているかも知れないのである。
それどころか、子供に殺生を教えている、と考えることもあり得る。
「チョウやトンボを殺してどうするの。かわいそうじゃないの。針刺して飾りにするんでしょ。腐って直ぐダメになるのに」
あるいは、虫を殺すくせをつけると残酷になる。将来人殺しになる、などという人さえもいる。
むしろ、子供の時に虫も殺さず育った人には、生命の大切さが少なくとも感覚的に解らないのではないか。
それに対して昆虫採集をする我々もちゃんと反論できるようにしておかなければならない。
昆虫採集は自然を理解し、自然の素晴しさを感じ取るための最良の方法のひとつであること。大切なのはまず生き物をよく見て、興味を持つことであり、それには昆虫のように小さいものの場合、どうしても網で捕え、手にとって観察しなければ判らないこと。
虫は子供が触っているうちに死んでしまう。しかしそれは、いわば精神を養うための殺生なのである。家畜や魚を殺して食べるのは、肉体を養うための殺生だが、精神を養うための殺生も同じように大切なものである。
また、虫は網で採ったぐらいでは減らないこと、なども、我慢強く相手に理解してもらわなければならない。黙っていれば相手はこっちに非があると思うし、感情的になっていて論理的な話が出来ない人もいる。
しかし、少なくとも我々は理論的でなければならないと思う。
「網で採ったくらいで山野の昆虫は絶滅しませんよ」
「でも、一匹捕ったら一匹減るでしょう」
「そりゃぁ、一匹採ったら、その一匹は減りますよ」
「ほら見ろ、減るじゃないか」
というような議論をしたことがある。一匹捕ったら減る、という人は昆虫の復元力を知らないのである。
実際に本来の天敵である鳥、たとえば一羽のシジュウカラが生まれてから死ぬまでにどれだけの虫をつかまえることか。その数は何十万匹にものぼるであろう。
それでも虫は平気である。ただし食草、食樹を伐られ、環境が破壊されれば、それで終わりになってしまう。
チョウなどの保護活動をしている限られた場所で、「我々の地元だから、よそ者は入るな」と言われたら、それはもう仕方がない。
一生懸命ギフチョウを育てている場所へ行って採ったりしてはいけない。それより自分で地形や食草を調べて新産地を見つけることである。
新産地の発見も昆虫採集の大きな喜びのひとつと心得るべきであろう。
10月29日(土)
「昆虫館」のクヌギの枝払いを植木屋さんに頼んである。私が昼頃行ったら安達さんと植木屋さんがもう伐ってくれたあとだった。
軽トラックいっぱいの枝葉を例年どおり千駄木小学校の校庭の隅に積む。前年までの分に青いビニールシートが掛けてあって、それをめくると、薄緑のモヤシがいっぱい生えて、下からコオロギの幼虫がピョン、ピョンと、たくさん出てきた。
シートを掛けることによって発酵が進み、素晴しい腐葉土になっている。バクテリアの働きで土の中が暖かい。
私はこのシート掛けを、発酵促進のため、とばかり思っていたが、実は雨水の放射能が溜まることを心配しての措置なのだった。
うちの子供が幼稚園の年中組になって、仮面ライダーとかゴーカイジャーの映画に夢中である。
こういう映画を子供と一緒に見ていると、そのストーリーは単純で、悪者が怪獣人間に変身して悪事をはたらくのを、仮面ライダーに変身した正義の味方がやっつけるのである。
結局は殴ったり蹴ったり、ビューと跳んだりするだけ。30年以上も前からの映画をまだテレビでやっていて、藤岡弘などという俳優さんが若いのにびっくりする。
新しく撮った作品では、やたらに複雑な機能つきのベルトをしていて、それにカードをかざすと“ジャキーン”と音がして、変身したりするのである。
そのベルトをお店で売っていて、子供がそれを「買って、買って」とせがみ、実際に、母親に買ってもらって遊んでいるが、私はダンボールに色を塗って作ってやって、安く上げている。
しかし、こんなものばかり見せていては教育によくない、というわけでもないけれど、私としてはできれば虫の映像を見せたい。

幸い双子の一人の方が、最近カブト、クワガタのDVDを喜んで見るようになった。私の膝の上に乗って、「もう一回、もう一回」と繰り返し見る。
テレビで放映した「虫・ムシおもしろ図鑑」と題した、「カブトムシ」「クワガタ」「コスタリカのチョウ」という6分ばかりの番組、それと、栗林慧さんがマレーシアとペルーに行って撮った、それぞれ90分ほどの2本の番組である。
子供とずっと一緒に何回もこれを見ていると、いろいろなことに気づくことになる。番組中、虫のケンカに使っているコーカサスオオカブトの中型個体は右中肢のふせつが欠けているからふんばりが効かない、また、コーカサスとアトラスの取り違えがある、などと細かいことが判ってくるのだ。
それと少し気になるのが、クワガタなどの和名である。
ラテン語の学名を和名にするときどう読むか。一番正しいのは古代ローマ人が発音していたように“ローマ字読み”にすることであろうが、英語式に「プラタナス」と称している木をplatanusという綴りだからといって今さら「プラタヌス」と読むのは却って違和感があるだろう。
しかしだからといって“中国に棲む”という意味の「キネンシス」chinensisを英語訛りで、「チャイネシス」とかフランス語訛りで、「シネンシス」と読むのもどうかと思う。
たとえばクワガタの中でホソアカクワガタ属はcyclommatusだが、これを英国人は「サイクロマタス」と言い、フランス人は「シクロマテュス」と言う。
しかしこれは日本人としては「キクロマトゥス」と発音するのがいいだろう、というのが私の考えである。
因に巨大種を含むこの属をホソアカ・・・などと呼ぶのは、戦前に台湾のCyclommatus scutellarisをホソアカクワガタと命名したからで、なるほどこの種は細くて赤っぽい。
しかし、同じ属でもより南に産するエラフスホソアカクワガタやコウテイホソアカクワガタなどは、そんなか細く、弱々しい印象のクワガタではなく、まさに堂々たる巨大昆虫である。
クワガタの名前で、フランス人の名の付いたのが特に気になるのは、私がもともとフランス語の教師だったからであるが、ここに、あくまでも参考までに、ということで、DVDや図鑑をひろい読みしながら目に付いたフランス人の名前だけでも、フランス式の正しい発音として、カタカナで表記しておこうと思う。
ヴェトナム、ラオス、カンボジアなどは19世紀中頃からフランスの植民地であったから、フランス人の研究者、蒐集家の名に因んだ虫が多いのである。

○ディディエールシカツノクワガタRhaetulus didieriはDidier氏に献名されたもので、フランス名を尊重するなら、ディディエシカツノクワガタということになる。
ディディエはセギ氏Seguyと共著で世界のクワガタ図鑑を書いた人。かつて外国産のクワガタを調べる時、これが一番頼りになる文献であった。
図版はペン画のモノクロだが、その絵が絶妙で、漆黒の輝きをペン画で見事に描いている。そして、セギ氏は北ヴェトナム特産の、セグーコクワガタDorcus seguyiに名が残っている。これもセギコクワガタと読んでもいい。
もちろんラテン語ではフランス語式のアクサンを用いないので、Seguyの名も「セギ氏に献げた」seguyiと表記されるわけである。
マレーのハデツヤモモブトハムシSagra buquetiにも献名されているBuquetはビュケが正しい。
ダビデミヤマクワガタLucanus davidisは、ジャイアントパンダやシフゾウの発見者ダヴィッド神父の名に因む。
同じくレスネミヤマクワガタLucanus lesmieiは、よく判らないが、その綴りからして、フランス人らしい。もしそうであれば発音は「レーヌ」となる。
同様にサッラウトマルバネクワガタNeolucanus sarrautiはサローマルバネクワガタと思われる。
タイのモウホットツヤクワガタOdontolabis mouhotiは糞虫のカブトエンマコガネOnthophagus mouhotiにも献名されているが、ジャングルに埋もれていた石造りの寺院、アンコールワットを全世界に紹介したアンリ・ムオHenri Mouhotの名にちなんだと思われるので、ムオツヤクワガタとなるが、いずれにせよ、我々日本人が学名を英国や独、仏訛りで読まねばならぬ理由はない。
ローマ字読みで一向にさしつかえがない。

昔、あるヨーロッパの古典文学のゼミで、教授が「アリストテレスの名を、英国人はアリストートルと言い、フランス人はアリストットと言うが、日本人は何と呼ぶのか」とその場にいた日本人留学生に訊いた。
すると学生は「アリストテレスと言います。」と答えた。先生は「おお、日本人が一番正しい」と言ったそうである。

○うちの双子はRとSと言う。Rの方が最近私と虫のDVDを見ているので、ひょっとしたら後継ぎにして、大量の標本を押しつけようと私も希望を持ちはじめた。
RがよくSに言う。
「Rがギラファノコギリクワガタ、Sがヒメカブトだよ。たたかおう」
まことに自分に都合がいい。しかし昨日はカブト、クワガタのDVDのあと、ウォルトディズニーのアニメ「ファンタジア」を私と一緒に観た。
ストラヴィンスキーの曲に合わせてプテラノドンやトリケラトプスが活躍する。こんな恐竜の名をいつの間にか覚えているのだ。

今日の午後は、昆虫館で写真塾。中嶋さん、日置さん、田中さん、髙橋さんらが来られる。迷蝶の発見で一躍“時の人”となった中学生の楠本優作君もご両親と出席。
私は今そのテーブルの端にいてこれを書いている。
10月19日(水)
昨夜遅く帰宅して、テレビの録画を見る。
「BSプレミアム」の「極上美の饗宴」で、速水御舟の「炎舞」という絵の中の蛾について語ったのだが、前半に述べた、「蝶、蛾は昔、死者の魂と信じられていた」という部分が放送されなかったので、画面の、焚火の焔に飛来した蛾が何故、途中で消失するか、という説明がもうひとつ解りにくくなったように思う。
九月はテレビの収録が3回あった。「BSブックレビュー」「NHK俳句」そして3つ目が「炎舞」である。収録は時間がかかって大変である。
こういうことも、このホームページで会員の方々にお知らせしておくとよいのかもしれないが、いつの放送か、いつもちゃんと訊いておかないので、つい忘れてしまう。
10月16日(日) ~秋晴れ~
10月16日(日)晴れ 昆虫館の鍵を開けるために昼頃家を出る。上野動物園の裏門辺りに人多し。
昨夜の風雨から一転して爽やかに晴れ上がり、道行く人は皆半袖である。車の温度計を見ると28.5度。
不忍通りを車で走っていて一番目立つ、人だかりの店は根津の鯛焼き屋で、いつ見ても長蛇の列。
このあたり『放浪記』を書いた林芙美子が、「今度お金が入ったらいなり寿司を腹いっぱい食おう」などと、空き腹を抱えて歩き回った所である。
「ファーブル館」に着くとサンダンカのオレンジ色の花にツマグロヒョウモンが2、3頭。その奥のガレージ横のブッドレアの花穂にも、やはりツマグロヒョウモン。ここには雌がいて、その傍で雄が求愛している。一ヶ月ほど前にはこのブッドレアにアカタテハが来ていた。
それにしてもツマグロヒョウモンが東京の、最普通種の蝶になるとか、黒い大きなナガサキアゲハであるとか、こうした状況を昆虫館の開館当時は予想だにしなかった。
昆虫館横の3メートルを超えるブッドレアは9月の台風で根こぎにされてしまった。プランターに挿し木にしてあったのが幼木になっているから、それを同じ場所に植えようと思っている。
北京の「旅游教育出版」というところから、私のジュニア版『ファーブル昆虫記』(全8巻)の翻訳が出て、版を重ねている。(台湾版ではない)
それはいいけど、やはり集英社の完訳版『昆虫記』と、装幀まで非常によく似たものが「江西科学技術出版社」というところから、集英社にも、私にも何のことわりもなしに出ているのはどうかと思う。中の挿絵はジュニア版の見山博さんの描いたものをちょっと改変して使っている。
まあ、ファーブルのことが中国で広く知られるようになるなら、一時的にはそれでもよい、と思うことにするか。
9月23日(金) ~インセクトフェア~
秋分の日、大手町サンケイプラザのインセクトフェアに行く。
養老孟司さん、池田清彦さんとの共著『ぼくらの昆虫採集』にサインをする。義理で買ってくれる人がたくさんいて完売。これも押し売りの一種か。
ただし、前日から一冊一冊にカブト、クワガタ、ツユムシの絵を描いておくのが大変であった。
西山保典さんが、ちらりと中型標本箱を見せる。中にオオムラサキの異常型が11頭も入っているではないか!それも紫色が翅全面に広がった、見たこともないもの。すべて中国遼寧省産。現地の採集人が樹液に来ている蝶を指でつまんで採っていくのだという。
そうやって毎年、何十万頭というオオムラサキを採集する。その中から異常型が発見されるのだそうだが、日本のオオムラサキでこんなのは見たことがない。なにしろアグリアスのフルニエラエとかエクセルシオールのように、全面紫色に輝いているのである。
こういうコレクションはその場で押さえるしかない。西山さんに有り金を渡して -と言ってもたった3万円ほどだが- 標本箱ごと譲ってもらうことにする。とにかく手を放したら縁が切れてしまうから放さない。残金は振り込みにさせてもらう。
ついでに i-Pad 2 も注文。これがただの i-Pad ではなくて、中に「ザイツ」をはじめ、蝶、クワガタ、タマムシの図鑑がぎっしりと入っているのだ。
西山さんと話していると藤岡先生が遅れてやって来た。危ないところだった。
西山さん、まさえさん、久枝夫妻と浅草「駒形」でどじょう鍋。酒も旨かった。久枝譲治さんは今度オマーンの大使になられた由。3年前シカゴの総領事になられた時もこのメンバーで食事をし、カラオケにも行った。で、当然、今回もカラオケということになる。

オオムラサキを手に入れた幸福感が数日間持続した。
さて、支払の問題がある。翌朝、家内にオオムラサキの標本を見せて、いかにこれが素晴しいものであるか説明しようとしたら、ちらり、と見るなり、相手は苦笑した。
「この口座に、これだけ振り込んで」と頼むと、「そのかわり、もう、学校に行くのが嫌だとか、辞めるとか言わないか。一札入れてもらわなきゃね」と凄まれた。
ほんとに、この歳で標本ばかり蒐めてどうするのかという意見もあるけれど、私としては虫の魅力に背を向けることは出来ないのである。
9月11日(日) ~第3回 丹沢サントリー天然水の森付近の調査~
メンバーは中嶋、梅田ご夫妻、髙橋、柿澤、安達、井上、奥本。
今回は国民宿舎に一泊して夜間採集をすることにする。あいにく満月に近く、明るすぎて条件が悪かったが、深夜、月が陰った頃から、蛾をはじめ昆虫が飛来しはじめた。
庭に白い幕を張り、ライトを耿々とつけて待つ。
夕食の後、二階の部屋から、焼酎の水割りを飲みながら見張っていると、大きな蛾が。ヤママユが次々に飛んで来るのだ。
ただし、まだ時期が早いのか雄ばかりである。雌なら産卵させてファーブル館のクヌギで飼育するのだが残念。
ミカドガガンボ、キカマキリモドキなども二階の部屋に直接入って来て、午前3時頃まで採集は続いた。まめに雑虫まで採っていた髙橋さんだけでも、総計145種の成果があった、という。他のメンバーの採集品のことはまだ聞いていない。
翌日はニジマスの養殖場付近で採集・観察。一昨年あんなにいたオニヤンマが今年は少ない。時期がずれているらしい。
8月21日 ~夢の樹~
梅田さん、高和さん、榎本さん、安達さんと、地下の空いていたゲージの中の木にオオムラサキ、スズメバチ、カブト、クワガタなどの標本を針で止めて樹液に集まる虫のジオラマを作った。
隣りには外国産の大型甲虫をふんだんに付けて「夢の樹」を展示。もし実際にこんな光景を見たら大興奮だ。
こういう仕事は、もし一人でやったら大変だが、大勢でお喋りしながらやると楽しいし、予想外に早く片付く。もっとも土台の木やゲージは以前に梅田さんが造ってくれたものである。
これに生きたコーカサスオオカブトなどを止まらせていたが、すぐに死んでしまうし、冬を越させるのが難しかったので、久しく空き家になっていたのだ。
8月20日 ~アブラゼミ~
この頃、路上でアブラゼミの死骸をよく見る。大型の虫では死骸をいちばんよく見かける虫。
蝉がもし鳴かなかったら、こんなにたくさんいる虫だとはとても思わないだろう。しかも鳴くのは♂ばかり。全体の約半分でしかないのだ。
同様に、人工の光というものが無かったら、蛾はみんな珍品ということになるだろう。
8月16~17日 ~標本の整理~
古い甲虫標本を整形。電磁調理器に鍋をかけて湯を沸かし、和紙を被せ、その上に虫を載せて蒸す。
この方式だと直接湯に浸けるのと違ってすぐ柔らかくなり、またすぐ乾くので、大量に処理ができる。旧来のやり方だと、特に大型甲虫など、いつまでも茶色い汁がでて往生する。
但しセミは色が変わるので不可。ミンミンゼミの緑が飛んで茶色くなった。まるで新種。
エビ、カニと違い、甲虫は熱を加えても変色しない。
自由に温度調節のできる電磁調理器も、それから百円ショップも、ドン・キホーテも、みんな我々虫屋のためにある、と思っていればいいのである。
8月15日 ~アカミミガメ~
うちの子供らと本郷の東大にセミ採りに行く。
子供の網でアブラゼミ1頭をgetして、親父の面目をかろうじて保つ。
三四郎池にアカミミガメがたくさんいて、人を見ると餌をくれると思うのか、ふわーと泳いで寄ってくる。簡単に掬えそう。
掬うのはいいが、放したら懲役1年以下か、100万円以下の罰金(外来生物法)だという。
アメリカザリガニ、ウシガエルも同じ扱いなのか。ウシガエルは駆除してほしい。不忍池のコイも多すぎるように思うが。
トンボのヤゴでも他の水生昆虫でも、コイが皆食べてしまっているように思われる。せめて挺水(ていすい)植物を茂らせて、大きな図体のコイが入り込めない場所を造ってもらいたいものであるが、時々、草をきれいに刈り取ってさっぱりさせてしまう。
するとそのあとは何もいなくなる。
8月14日(日)~シバンムシ大発生~
安達さんが地下のファーブル生家のパンに虫がついているのを発見。シバンムシの大発生。
このパンは4年目か5年目だが、この数日の間に一斉に羽化したらしい。ビニール袋に入れキンチョールで殺すが、大変な数である。
「最近の日本人はキンチョールが足りん!」と誰かが言ったが、我々も油断していた。しかし、標本につくシバンムシとは種が違うのではないか。
タバコシバンムシ、フルホンシバンムシ、ジンサンシバンムシ、といろいろいるらしい。ジンサンは人参と書く。漢方薬の朝鮮人参につくので、この名がある。
農林省にいた「長谷川仁先生を囲む会」のパンフレットは確か、「仁さん酒番虫」だった。シバンムシは「死番虫」と書く。英語では"death watch"。
大修館の『ジーニアス英和辞典』を引くと、
  1. deathwatch beetle
  2.(臨終の人の)不寝番(死者の)通夜
  3. 死刑囚監視員
と出ている。1は古いベッドや木の柱の中で、この虫が交尾行動で「コツコツ」と音をたてるのを「死の刻をきざむ時計の音」のように思ったから、と何かの本に書いてあった。
フランス語ではたしか"croqut mort"(クロックモール)と言ったはずだが、今、辞書を引いてみると「死体を納棺して墓地まで運ぶ人」としか書いてない。そのうちちゃんと調べよう。
それで思いついて北インドのクワガタ、カブトの入った標本箱4箱を取り出してくる。中身の大半は茶色い粉になってしまっている。メモを見ると"Khasi Hills 1976 july"。
ガラス蓋を開けて箱の「身」をビニールの大袋の中ではたくと凄い茶色の煙。マスクとゴーグルが要る。ずっと気になって、何とかしなければと思っていたのを、35年ぶりに綺麗に掃除。せいせいする。
同時に標本箱に空きが出来た。
8月12~14日 ~夏休み標本教室~
夏休みの標本教室は人気が高い。初級・中級・セミ、トンボと満員御礼。
昔の標本作りは文章だけの難解なものだったが、今はスタッフが手取り足取り教えてくれるのでわかりやすい。
しかし、こうして子供たちが集まり、若い保護者が来られると活気がある。我々スタッフも元気づけられて愉快であった。
3日連続の標本教室の最後の日、何となく満足感があり、動坂のイタリア料理の店で軽く打ち上げをする。こんな近くにいい店があったとは。
14日の午前にはラジオの中継に出る。質問内容は人気の虫、どこで採れるのか、迷蝶、についての3点。
それと私の本の宣伝を含めて5分間の生放送だった。
8月10日(水)~飛蚊症~
日立病院の眼科。飛蚊症と診断される。
ただの老化だというが、視力が落ちるのは困る。失明はもっと困る。
8月4日(木) ~海野さん出版記念会~
海野和男さんの神田の学士会館での出版記念会。
写真集、図鑑、とたて続けに4冊も出したのでその記念。参加者は220名以上。
『虫・コレ』『昆虫顔面図鑑』『チョウはなぜ飛ぶか』『世界で一番美しい蝶は何か』など4冊一遍の記念会。
今、写真集を出すのは大変なことなので、お祝いのスピーチをした写真界の偉い人たちも、皆一様にそのことに対する驚きを述べる。 スピーチを頼まれたが、どうせ誰も聞いていないから、今年5歳になるうちの子二人に花束を贈呈させる。皆、小生の孫だと思っただろう。今森光彦さんもやはりたて続けに本を出す。
いまどき、虫の写真集を次々に出せるのは海野さんと、今森さんの二人である。今森さんの『世界のカブトムシ』これと、海野さんの『世界で最も美しい蝶は何か』を寝る前に毎日眺めていると、標本室の虫の手入れをしなければと思う。
どちらの本も、世界中の大型美麗昆虫が入手できる今だからこそ出版できる素晴しい本。英語版を出せれば、あちらで売れそう。
二次会は神保町の洋風料理店。長畑直和さんらも同席。長畑さんはテレビチャンピオンの「虫クン」で、記憶力抜群、細かいことをよく覚えている。話していて楽しい。
それにしても、昆虫写真の分野は、デジタルカメラの発達で、誰でもかなりの水準の作品が撮れるようになったせいか、逆にプロの写真家が減る、という結果になってしまった。
戦前に三省堂から出た平山修次郎の『原色千種昆虫図譜』などを見ていると、後ろの頁に石澤慈島という人の『路傍の昆虫』という本の広告が出ている。後にこれを入手したが、小型のポケットブックのようなもので、もちろんモノクローム。
その写真の質は、今なら“ピンボケ”(この言葉も古くなった。ピントがボケているという意味で、むかしの素人写真にはこれが多かった)と言われてしまいそうなものである。
当時の普通種が小さく写っている。カメラはツァイスなどのドイツ製であろうが、その頃、カメラというのは風景や人物を撮るもので、虫のような小さなものを撮るのは土台無理であった。
ツァイス・イコンでもローライコードでも、虫を撮って現像してみると、豆粒のようにしか写っていないのでがっかりしたものである。
戦後の1950年代に田村栄という人が『昆虫の生態』という大きな箱入りの写真集を出している。田村は「子供の科学」の表紙の写真を撮っていた。オオイチモンジのような蝶を自分で飼育して撮影するのである。アリの生態などもレンズに蛇腹を付けて接写するというようなことが書いてあった。
そんな時代から見ると、今のデジタルカメラの発達はまさに驚異的である。
私も学生時代にカメラ雑誌で、135ミリの望遠レンズに接写リングを挟む方法を知って、六義園でキタテハを撮って喜んだり落胆したりしていた。1972年頃、台湾に行った時は同行の山本晃さんに教えてもらって、アケボノアゲハやホッポアゲハを写した。そのスライドは今でも保存しているが、色が多少褪せたようだ。
その後、海野和男さんと知り合って一緒にマレーなどに行き、指導してもらった。
初めのうちは「上手い」などと褒められたが、だんだん知恵がつくと下手になったような気がする。
7月27日(水) ~ヤマトタマムシ~
この頃は大学でも年間30週きちんと授業をやることになっているので、まだ夏休みにはならない。
大阪芸大デザイン科の北端信彦氏と午前中採集に行く。小野妹子の墳墓が神社のようになっているところで大きなヤマトタマムシを発見。
7月10日(日) ~ファーブル自然の森 2~
鮭川村。ウラナミアカシジミ、ウラキンシジミ、キバネセセリ。
新幹線新庄駅では塩辛、味噌漬けとサクランボを買っていると、土産として、箱入りの上等なサクランボを贈られる。翌日子供と食う。
7月9日(土) ~ファーブル自然の森~
山形県の最上郡鮭川村「ファーブル保全の森」のオープニング。当会理事の海野和男さんと一緒に招かれて講演。
新庄まで新幹線。蒸し暑い。夜はホタル観察会。ヘイケボタルが田圃と谷川のあたりを飛ぶ。
こんな暗い中のかすかな光を海野さんたちは撮影するので驚く。
村長の元木さんらと宴会。旨いドブロクとワイン。馬刺し、山菜。
肝煎(きもいり)は中嶋正人さん、日置健吾さん、高橋恒一さんら。
5月16日(月) ~サントリー天然水の森 第2回丹沢調査~
丹沢2回目の調査。
鹿の食害のためか、虫はごく少ない。目立つ植物は3種のみ。
参加:中嶋正人、梅田夫妻、堀内隆夫、高橋公彦、安達尚友、小瀬泰志さんがVTRを撮る。イワナ、ニジマス養殖場でマキ割りをする。


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