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特定非営利活動法人 日本アンリ・ファーブル会 ~ 虫の詩人の館 ~
『完訳 ファーブル昆虫記 第10巻 上』 (集英社) 発刊
5月26日に奥本館長の新著がでました!
全20巻中の第19巻目。
ミノタウロスセンチコガネとウシエンマコガネ、近縁種であっても大きく異なる生態をもつ糞虫の暮らしを描く。
館長のコレクションから原寸大の標本写真も掲載。
※ファーブル昆虫館でもご購入できます(予価2,980円+税)
館長の部屋(ブログ) 2016
- 12月10日 ~ フクロモモンガと浅丘ルリ子 ~
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ツッピーがテレビに出ていた──というのは本当の話で、NHKを観ていると、オーストラリアの有袋類の生態を記録した番組で、フクロモモンガが自由自在に滑空し、ユーカリの大木から大木へと飛び移るのであった。
画面ではうちのと見分けのつかないフクロモモンガが、気分良さそうに滑空しているのを見ていると、狭いカゴの中で跳ねているのツッピーが気の毒になる。
特にボクを恨んではいない様子で見上げる、八割くらいまでが眼、というその顔を見て、昔々の中原淳一のイラストを連想した。
「それいゆ」とか「ジュニアそれいゆ」とかいう少女雑誌の表紙の絵である。
その雑誌にときどきスターの写真が出るのであったが、あるとき、表紙の少女に生き写しの日活のニューフェイスが登場した。
浅丘ルリ子といった。
この人も顔中眼といった印象で、ツッピーにそっくりなのであった、と言えば失礼にあたるであろうか。 - 11月20日 ~ ツッピーが逃げた! 後編 ~
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フクロモモンガのツッピー君は、一日に20時間くらいを眠って過ごしているんじゃないかと思う。
昼間はもちろん、ずっと寝袋の中で寝ていて出てこない。
目を覚まして外に顔を出すのは夜中の11時頃である。
会社員なら超重役出勤というところ。実働数時間。
起きるとカゴの中で、それこそ角兵衛獅子のように ― 古いなァ ― とんぼ返りをしてハネまわっている。
ボクがカゴの中をのぞき込むと、よろこんで余計活発に跳ねるような気がするけれど、それはこっちの思い過ごしか。
軍手をしてカゴの中に手を差し入れると、ぽん、と飛び乗ってきて、かるく噛んだりする。
なんだかいい関係のようだが、考えてみると、強制的に監禁しているわけで、あちらに言わせれば、人間による犯罪的行為であろう。
ツッピー君は多分、自分がフクロモモンガであるということも判っているまい。
親とも、兄弟姉妹とも、もの心つかぬうちに引き離され、獣身売買の目にあって、こうして自由を奪われているのである。
話が長い。
ともかく彼はまた収監されてカゴの中の寝袋で眠っている。
餌をやると喜ぶ様子を見せるけれど、本当の事情が解ったら怒るだろうと思う。
ただし、いくら怒ってもこの顔ではカワイイとしかこちらは感じないけど。 - 11月11日 ~ ツッピーが逃げた! 前編 ~
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毎晩11時頃に、うちのフクロモモンガのツッピー君に餌をやる。
ツッピーの一族は完全に夜行性で、というより、一日の大半をカゴの中に吊った布の袋の中にもぐり込んですやすや寝て過ごしている。
それで、11時に起床されるのを待って、お食事を供させていただくわけである。
食前にボクは、軍手をはめた手をカゴの中に突っ込んで、ひとしきりツッピー君に遊んでもらう。
軍手を仲間だと思うのか、じゃれついてきてくださるのだ。
その時、彼はカゴの中から外に出ようはとしない。カゴの中が安全と信じているらしい。
ところが昨夜はいつもと違って、カゴの戸口から手を出したらそのまま手の上に乗ってきた。
油断していたともいえるが、手の上の君を観察していると急にすばやく動き、手から飛び降りてテレビのうしろに入ってしまった。
床すれすれに顔を付けて狭い隙間をのぞいてみると、人の手の届かないところに納まって、こっちをあざ笑っているようである。
さてどうしよう。
とりあえず「ツッピーが逃げた!」と書いた紙を廊下に出して、ツッピーのいる居間の戸を閉めた。
さてどうしよう。
とりあえず今夜中の捕獲はあきらめて寝ることにした。
~後編につづく - 10月29日 ~ 蜘蛛の糸 ~
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私としては思い切って早起きをして、学校に行く子供たちと一緒に家を出る。
東京九時過ぎ発の新幹線で名古屋へ。名古屋から地下鉄で豊田市へ。
それから一時間半、豊田市美術館で「クモの賢さと美しさ」と題して講演。
蜘蛛と広津和郎の随筆、重田青樹の絵の話をしようと思っていたが、
例のごとく脱線。
用意してきた話は、展覧会の図録に書いたから別の話をする。
講演を終わり、まるで下校するように来たルートを逆に辿って帰宅。
日本シリーズのテレビを見る。
最後の二戦が満塁ホームランで決着とは。もう一戦見たかった。
それにしても忙しい一日だった。 - 9月8日 ~ 下町大衆食堂 ~
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高知の牧野植物園の里見さんが、展示に使ったファーブルの椅子や机、昆虫の標本などを返却に来られた。
今は宅配便が発達していて、壊れやすいものでも、安全に時間どおり配達してくれる。便利この上ない。
それでも、標本をひとつひとつ、元どおりの箱に戻して刺したりしてけっこう時間がかかった。
夕方、里見さん、近藤さん、安達さんと小生とで、道坂の定食屋「道坂食堂」でいっぱいやる。
この店は、およそ日本の家庭で出来る料理は何でもあるというありがたい食堂で、昆虫館で開く俳句の会のメンバーにも人気がある。
いつも不思議に思うのは、トンカツより一手間かけたカツ煮の方が安い、ということである。
レバニラ炒め、ゴーヤーチャンプルー、サンマの塩焼き・・・と注文して腹いっぱい食べ、飲む。満足。 - 8月2日 ~ 高知行(4) ~
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午前中、もう一度トンボ王国の園内散策。朝のトンボたちを杉村さんと観察した。
多数のチョウトンボやウチワヤンマが縄張り争いをし、足元ではキイトトンボやベニイトトンボが番になっている。
さまざまな水生植物が植えられ、何年もかけて丁寧につくられたトンボ池の数々。
その様子を観察しつつ、しばらくあぜ道を歩きながら虫談義をしていたが、朝から四万十は日差しが強い。
日陰を求め、園内最奥部の林の中でヒメアカネを観察して引き返すことにした。
杉村さんの解説を聞きながら一日中でも滞在したいところであったが、再会を期して別れた。
トンボ王国を後にして四万十川にかかる赤鉄橋を渡っていると、運転席の近藤さんが、
「先生、この鉄橋は”ベニトンボ鉄橋”と呼ぶことにしましょう」
たしかにそうだ。あのみごとなまでの鮮紅色を思い浮かべながらうなづいた。
3年前、国内最高気温41℃を観測した江川崎を経由して土佐大正へ。
今度の旅はわざわざ一番暑いところを辿っているかのようであった。
途中、山の尾根に沿うように、通り雨が降ったあと、山全体から湯気がさかんに立ち昇る光景を見た。墨絵だ。
「四万十ヤイロチョウの森」ネイチャーセンターでは、館長の中村滝男さんが出迎えてくれた。
テレビでは放映してもらえないという、ヤイロチョウの生態記録のビデオを見る。
中村さんは、虫にも造詣が深い方のようである。
鳥好きの人も、子供の頃は大てい虫を捕って大きくなっているもので、
虫を捕るな捕るなという人は小さい時、実はたっぷり虫を捕っているのである。
中村さんは、餌が増えなければ鳥も殖えない、ということをご存知の方なのである。
ヤイロチョウの森は一か所ではなく、四万十町を中心に県内に点々とあるらしい。
少しずつ領地を拡大していっているのだ。うらやましい。
いずれ、針葉樹の人工林をヤイロチョウの好む広葉樹林に変えれば、虫も増える。
見送りに出てくれたのでセンターの前で記念撮影をしていると、入口脇の池でヤブヤンマがゆっくり産卵していた。
トンボよ増えてくれ、と願いつつ西土佐を後にした。
- 8月1日 ~ 高知行(3) ~
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高知県は東西に長い国である。レンタカーで県西部の小旅行に。まずは富太郎の故郷佐川へ。
郊外へ出ると放置された竹林が目立つ。いっそのことパンダを放って思う存分食わせたらと思う。
孟宗竹も中国原産の外来植物であるから、パンダに食わせるのは無限に正しいのである。
パンダが増え過ぎたらどうしよう。彼の国に有料で貸与してやろうか。
仁淀川流域の中山間部佐川に着くと、そこは思いのほかというかかなり暑かった。
青山文庫はあいにく休館日だったので館内は見られなかったが、静かな佇まいが実に上品。
上等の土地から富太郎さんのような極上等の人物が出た。
司牡丹の蔵の街でもあるので、酒を購入ついでに事務所で涼を得た。
昼は創業百年を越す老舗のうなぎ屋で仁淀川の天然ものを食す。僕もテンネンとよく言われるがどういう意味か。
そして四万十へ。
四万十市(旧中村市)のトンボ王国で杉村光俊さんと再会。
昨日会ったばかりのように出迎えてくれた。
さっそく「四万十川学遊館あきついお」の館内を案内していただく。
トンボの標本の充実度にあらためて感心しつつも、圧巻はピラルクの水槽。
捕食の瞬間の迫力に目を瞠った。
その後、近藤さんの提案でベニトンボの観察にでかけた。
生息場所は日当りと川の水深が大きく関係するという話であったが、その知見には感心することばかり。
実際そのとおりのポイントでベニトンボを発見した。台湾型である。
車でトンボ王国に戻り、園内を案内してもらいつつ虫談義に花を咲かせた。
それにしてもすばらしいトンボの里山である。
元は谷津田だったフィールドにさまざまなトンボ池が造成されているが、その環境を維持するだけでも大変だろう。
あまつさえ王国は創設以来、拡張を続け、今や池田谷全体がその領土になっているのである。
いよいよ陽が傾いてショウタイムのはじまり。マルタンヤンマ、ネアカヨシヤンマの黄昏飛翔を観察した。
夜、紹介してもらった地元のお店へ一緒にでかけた。
ここのカツオのタタキはさらにまた身が厚かった。タチウオのタタキは歯ごたえがあって美味。
そんなごちそうを頂きながらも、杉村さんの「トンボは湿度です」理論とその情熱、憂国の情に感服。
龍馬の子孫はここにも生きている。
「今一度、日本の里山を洗濯し申し候」 - 7月31日 ~ 高知行(2) ~
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植物園へ行く前に追手筋の日曜市をちょっとだけ覗いてみた。
瓜かと思ったら、白い大きなナス、リンゴかと思ったら、巨大なスモモ、高知の青果物はどれも規格外に大きい。
冷やしあめの屋台が出ていたので一杯飲む。ショウガの風味が効いた懐かしい味だ。
小夏を一山買って市を後にしたが、売っているおばさんが何度もお礼を言ってくれて、かえって恐縮。
小夏は内側の白い皮ごと斜めに切って食うと、粒々がデリケートで旨い。
しかし旅先でこんなに買ってどうする。
植物園到着後、講演会本番の前に約4万5千冊という、牧野さんの蔵書を見せてもらう。
収蔵庫はまるで銀行の金庫室のようだった。しかし中身は札束よりも金よりも貴重である。
講演終了後、牧野植物園内を散策、と言っても、常連らしき方々とぞろぞろ歩き、こっちが説明を聞くだけ。
それにしてもこの植物園の敷地は広い。
元々はお隣の竹林寺の境内の一部を譲り受けて開園したとのことだが、以降何度か拡張して、今や6ヘクタールもあるそうだ
咲いている花が少ない時期で、蝶はあまり観察できなかったが、大きな高い木の梢にチョウトンボの群飛を眺めることができた。
特別の許可を得て補虫網を借り、園内の蓮池でギンヤンマと一戦交える。
空中戦を制することができ、ギャラリーから拍手が湧く。
一瞬。さっと手首を返した。昔取った杵柄。身体が勝手に動いた。
久しぶりにスカッとする気分を味わった。しかもその気分が消えない。やはりギンヤンマでないと。
車窓からモンキアゲハを眺めつつ、高揚感に満たされたまま植物園のある五台山を後にした。
その夜は高知市内中心部にある「ひろめ市場」というところへ。
体育館のように広大な店内の壁際に魚屋、酒屋、総菜屋、食堂などがずらりと並び、高知名産の食材がほとんど何でも買える。
フードコートのように、真ん中にはテーブルとベンチがあって、買ってきたものをそこで飲み食いできる。
市場の中で買い食いしているような感じ。
ウツボのタタキ、鯨のベーコン、ドロメ、カメノテなどを肴に超辛口の「船中八策」を試してみた。
ところで、高知人は”イケル”口で世話焼きなり。隣の席の女史が、年下らしい逞しい男を叱りつけながらぐいぐい呑んでいた。
まさに絵に描いたようなはちきんである。 - 7月30日 ~ 高知行(1) ~
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高知県立牧野植物園での記念講演とか言っておだてられ、羽田発のヒコーキで高知龍馬空港へ脱藩。
最近一人では電車に乗ることもあまりなく、根津から代官山、などというと、切符の買い方も分からない小生だが、同行者は高知出身の近藤さんで、地元の人の案内だから、この後は黙ってついて行けばよい。
およそ迷うという心配がない。
ヒコーキという移動手段は、落ちるからあまり好きではないのだが、たったの1時間半で四国に着いてしまうと「あら、何ともなや」と結果オーライで、やはり便利だと思う。
みんなどんどん乗るべし。しかし本四連絡橋も渡りたかった。
空港では牧野植物園の里見さんがお出迎え。
翌日の本番では、高知出身の植物学者、牧野富太郎にちなんで、「ファーブルと牧野富太郎」という話をする予定だが、その前に館内の展示を拝見した。
里見さんは絵が巧みで、牧野富太郎とファーブルの二人を細筆でカリカチュア化し、絵巻に仕立て上げてあるのに感嘆。表装すれば館の宝がひとつ増える。
夜、里見さんをはじめ、植物園の教育普及課の方々に歓迎会の宴を開いてもらった。碩学に美人もいた。
カツオの塩タタキというものを初めて食べる。厚めに切った大ぶりのカツオが新鮮で旨い。
チャンバラ貝、マイゴ、ナガレコなど、高知産の海の幸にも再会できた。ナガレコはトコブシのことで、私の父の故郷三重でもそう呼ぶ。
岩に着いているのを取ろうとすると、さーっと流れるように逃げるのだという。
川のりの天ぷら、リュウキュウの酢の物なども珍味である。リュウキュウは大型の里芋の茎か。
富太郎の故郷、佐川(さかわ)の地酒「司牡丹」の冷酒も結構。文句なし。もともと言うことなんかないのだ。無条件降伏。
二次会は里見さんの行きつけらしい店へ。
車座のようにテーブルを囲んで、若い職員の方たちと飲んでいると、ゼミの生徒さんたちといるような気分になった。
それにしても土佐の”はちきん”は酒も強い。
ちょうど目線の先の席の女性グループは、みな浴衣姿でワインをくいくいと。
”いごっそう”の里見さんも強い。高知では当然三次会へ。
お決まりのコースなのだろうが、屋台の立ち並ぶエリアへ数人で移動し、締めのラーメンとビール。
気が付けば午前様であった。近藤さん、ハラが出ても知らんぞ。 - 7月16日 ~ ダブルヘッダー ~
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昨日に続いてまたスカイツリー。
そういえば昨日はプレスナントカのあと、梅田さんと安達さんと浅草に出て「駒形どぜう」でいっぱいやったのだが、あらためて”どぜう”は美味いと思った。
そのあとお茶の水の「山ノ上ホテル」で「澁澤龍彦没後三十年」の記念会に出席。
スピーチを求められたが、感きわまって、我ながら下手の極み。
しかし今日の大昆虫展でのカブトムシゆかりさんとのトークショウは、子供たち相手にクイズをやったり、漫談をやったりと、自由に話せた。
それで気分を良くしたからではないが、今日もまた浅草に松尾さんと近藤さんと寄り道。
並木の「藪そば」でざるそばをアテにいっぱい。味噌玉を舐めながら樽酒のぬる燗というのもオツなもの。
気が付いたらお銚子が何本も空いていた。
このあと夜の7時から、池袋の「ジュンク堂」でゆかりさんと本日二回目の対談。
昼の調子のまま、いい話ができますかどうか。 - 7月15日 ~ 大昆虫展 前夜 ~
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スカイツリーのプレス会見。
カブトムシゆかりさん、哀川翔さんと小生で、新聞、テレビの対応をする。
こうして集まっていただけるのもスカイツリーの催し物なればこそ、と涙こぼるる思い。
哀川さんのカブトムシ(87.4ミリ)はさすがの存在感。
「むし社」の店長さんがノギスで体長を測ろうとしたが、角の力が強くて、なかなか角をまっすぐにしない。
測りにくいと苦労をされておられた。
ギネスの”大”の方も凄いけれど、チビギネスの方も凄かった。
あんまり小さいのは、羽化できなくて死んでしまう。
30ミリちょっとが限界かと思ったら、20何ミリかがあるという。
世界は広い。
(※16日から開催の大昆虫展に哀川さんのカブトムシも展示されています) - 6月26日 ~ 準備苦戦中 ~
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新しい、今までにない標本展示にしたいと意気込んでいる「大昆虫展」。
まず、前に出した『虫から始まる文明論』のカラー頁を、写真と実物の標本で再現する。
たとえば、シマウマと、ゴライアスオオツノハナムグリ。
タイの寺院の意匠とゴホンツノカブト。
ギフチョウの発見者、名和靖のこととか、主に東南アジアで活躍した探検博物学者
ウォーレスの業績なども紹介する。
そういう文明論の他にいわゆる”びっくり昆虫”として、巨大なオバケオオコオロギや
中国のヘビトンボ、アフリカの草原でのゾウやバッファローとその糞を食べる巨大な糞虫、ナンバンダイコク、フンコロガシ(スカラベ)、
そしてそのスカラベが神になったケペル神の像も展示するつもり。
実物ほど説得力のあるものはない、と思っているけれど、実際に展示するのは大汗である。
- 6月18日 ~ 大昆虫展の準備 ~
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来月16日から、今年も東京スカイツリーで「大昆虫展」が開催される。
今年は当館から標本を出展することになっているのだが、少し趣向を凝らそうとしている。
よくある個人収蔵物の標本展示というのは、ともするとコレクション自慢になってしまって
面白くない。
そもそも子供たちにとって、めずらしい昆虫の標本ほど難しくて何を見ていいのかわからない。
そこで今回は、昆虫に親しんでもらうことを眼目に、分かりやすくて面白味のある展示をと、
色々なアイデアを考えているのたが、思いついたままあげてきたらもう200ほどになってしまった。
ひとつのアイデアがひとつの標本箱に。ファーブル会スタッフのみなさんのご苦労のおかげで100個ほどできた。
あと100個。ラストスパートである。
さて、今日はやましたこうへいさんとの共著、『ファーブル先生の昆虫教室』という本にサインをする。約二十冊。
山下さんがファーブルの顔を描いてくださって、二人のサインがそろうと、けっこう人気が出て、目の前で売れていく。
せっせと書いていると、内職しているような気分になった。
- 5月29日 ~ 本の宣伝 ~
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絵本作家のやましたこうへいさんとの共著で、『ファーブル先生の昆虫教室』という本を出します。
6月4日発売(ポプラ社)。
これは『昆虫記』の幼年版ともいうべきもので、自分でいうのもナンだけど、とてもわかりやすい、
と思います。
その分、絵を描く人が苦労されたわけで、山下さんは、虫も人物も、両方上手い。
こんな絵描きさんはめったにいません。
集英社の『完訳 ファーブル昆虫記』も十巻上が出ました。
ずっしりと分厚く、重い本で三千円もします。
来年五月に下巻が出れば、それこそ個人完訳です。 - 5月7日 ~ 眼の色の青いうちに ~
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「コヤマトンボが今朝羽化しました」と言って近藤さんがまだ柔らかい個体を持ってこられた。
そこで、今日は少し暑いけれど、逃げられないように窓を閉め切ってカーテンに止まらせた。
はじめ、翅を閉じていたのが、あれから三十分もたたぬうちに翅を左右に開き、
今にも飛び立ちそうにしている。眼はまだ青くなっておらず、薄い茶灰色のままだ。
図鑑を持ち出してきて、キイロヤマトンボ、オオヤマトンボとの区別点を調べようと思いつつ、
文章より新しい図鑑の写真の美しさに惚れ惚れと見入る。
今はトンボを採集したら眼の色が変わらぬうちにその場で写真を撮るのであろう。
デジカメのおかげというわけである。
そういえば昔、昆虫館の前をコヤマトンボかオオヤマトンボが通り過ぎていくのを何度か見たことがある。
そのときデジカメがあったら撮れたかどうかはわからないけれど、もうそんな光景は望むべくもない。
僕も若いうちにもっと写真を撮ってもらっておけばよかった。 - 4月25日 ~ 夜の友 ~
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朝(世間では昼)起きると、久しぶりに天気がいい。
「そうだ、ツッピーの軍手を洗ってやろう」と思いついた。
うちのフクロモモンガのツッピーは、種名にも”フクロ”と付いてるけれど
飼育籠の中に吊り下げた寝袋を巣にして一日二十時間近くも眠っている。
夜行性で、夜中の十二時を過ぎてくるとゴソゴソ動き出し、籠の中で飛んだり跳ねたり。
手を入れてかまってやろうとすると噛もうとするから、いつも軍手をはめて相手をする。
その軍手がいつの間にかまっ黒に汚れてしまったので、洗ってやろうと思ったのである。
洗って一日陽に干して、籠にもどしてやったら。非常につよく興味を示して匂いを嗅ぎ、軍手の中にもぐって長い尻尾だけを外に出している。
洗ってやってよかった。 - 4月17日 ~ 事故アゲハ ~
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四月初旬、サクラもまだ、の寒い日であった。
昆虫協会時代からの古い会員の阿部実さんが訊ねて来られて、
「せっかく羽化したのに、ほら」とスマホの画面を見せられた。
羽化したばかりの新鮮なアゲハの雌が道端に落ちている写真だ。交通事故であろう。
「寒いなぁー、羽化するの待てばよかったかな」と思いながらひらひらと飛んでいて、
自動車にコーンと当たってしまったのではないかと思う。
2020年には自動運転が実現するらしいが、蝶の交通事故は防げない。
それとは別にドローンが発達したら、それに補虫網を付けて昆虫採集もできるだろう。
ボルネオあたりのキャノピーの虫が捕れるようになるかもしれない。
ハナムグリやハチの新種が出るだろうなぁ。 - 4月9日 ~ 異郷動坂 ~
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動坂交叉点から坂道を登ってきて周りを見廻すと十数階建ての立派なマンションばかりである。
私が初めてこの地に来たのは昭和三十八年のことであるから、古い話で、
その頃の人間をいきなり連れて来たら、「いったいここはどこだろう」どころか
「どこの国だろう?」と思うに違いない。
そこにツマグロヒョウモンやらナガサキアゲハなんかが飛んできたら
「ここ、シンガポールですか?」と当てずっぽうを言うかもしれない。
すれ違う若者たちも背が高くて何となくガイジンみたいだし。
永生きしたなぁー。
- 3月26日 ~ 虫活 ~
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カブトムシゆかりさんがファーブル館を訪ねて来られた。
今年5月16日に発刊予定の彼女の著書『虫活』のゲラ直しのためだった。
先日の総会も忙しいスケジュールの合間をぬって参加してくださったのに小生は欠席してしまった。
そのお礼ではないけれど、小生を含めてスタッフのおじさんたちが少しお手伝いをする。
全部には目を通せなかったが、虫業界についての彼女の目線というか気持ちを書いた部分は
共感するところが少なからずあり、思わず校正用ペンを持つ手にも力が入った。
虫屋のおじさんたちには書けない、新しいスタイルの虫本・・いや虫活本になるだろう。
発刊日当日には池袋ジュンク堂で出版記念イベントが開催される予定だそうだ。
- 3月19日 ~ 自粛 ~
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先週の3月12日、ファーブル昆虫塾の総会があった。
総会自体は粛々と行われ、その後の懇親会はいつものように盛り上がったらしい。
カブトムシゆかりさんも来てくださるというので、小生も行きたかったけれど、
風邪の具合が思わしくなくて、やむなく欠席した。
治りかけのときにアルコールを飲んではしゃぐとぶり返すから用心した、というと
言い訳にもならないが、顔を出すだけというワケにいかないのは目に見えているのである。
お蔭さまですっかり回復したが、賑やかだったであろう昆虫パーティーの様子は知りたい。
会場の写真を載せてください。
- 3月9日 ~ てりむくり ~
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上野の西郷さんの銅像の下の方、スロープを下りてきたあたりの二本の桜が咲いて、
中国からの観光客が写真を撮っている。
この頃になると、モンシロチョウはまだか、ツマキチョウはまだかと心待ちにするようになる。
十年前、池之端のマンションに引っ越してきたときに、ツマキチョウのメスを発見して、
ひどく嬉しい思いをした。
あのちょっと前頃から山手線の土手などにツマキチョウが増えはじめたのだった。
この仲間、アントカリスは南仏なんかにもいるけれど、翅端がこんなに尖っている点では、極東産のツマキが一番洒落ていると思う。
この形は古い日本の建築用語では「てりむくり」というのだそうだ。
- 2月28日 ~ 蟲のにほい ~
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昆虫館三階の戸を開けると、子供たちの声と共に、「ムッ」と臭いがした。
甲虫を蒸している臭いだ。インドネシアから送られてきたクワガタやカミキリの乾燥標本の関節を柔らかくして展足する。
今日は”ファーブル会初級昆虫標本教室”である。
私の父はにおいに敏感な偏頭痛持ちで、私が虫をいじっていると部屋に入ってこようとしなかった。
そのころの私は朝から晩まで虫のことばかり考えていて、父には気の毒な事をしたと思っている。
それでも親というものはありがたいもので、父は仕事の帰り、大阪の阪急デパートで、昆虫の標本を買ってきてくれた。
昭和三十年代の話で、それらの標本の中には戦前に台湾で採集されたものが混じっていた。
「恒春一九四三年三月」などと几帳面なラベルが付されていた。戦時中の採集品である。
その箱を開けると、樟脳の香りと共に古い標本の臭いが立ちのぼってきて、胸がわくわくしたものである。
その臭いの組み合わせだが、樟の根から採った鐘馗(しょうき)様の商標の藤澤樟脳とアフリカの糞虫が今のところ最高のようである。
- 2月13日 ~ 干天慈雨 ~
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「ファーブル年会費支払いのお願い」を遠慮しいしいお送りしたら、次の週あたりにもう、郵便局の緑色の送金通知の書類が、ポストにいくつもいくつも届いていた。ありがたいことである。
案ずるより産むがやすし、という言葉があるけれど、この支払い願いを出すまでに少しためらわれた。
というのは、「ファーブル昆虫塾」の方はまだしも近所の会員と交流があり、塾ニュースを送ったりしているけれど、遠方の方々などからは、いわば会費をもらいっ放しである。
といって、もうすぐゼイキンの季節になる。ためらったり恥ずかしがったりしてはいられない。
このファーブル館の建物は、人が住んでいないから、ふつうの住宅に比べると、固定資産税がずいぶん高いのである。
土地にも建物にもそれがかかる。
それを払ったら会の予算はもうない、という時に、一階の展示室のエアコンが故障した。
修理の見積もりが四十万円近い。万事休すという感じだったが、こうしてお金が入り、懐が暖かになってみると、ゲンキンなもので、急に気分がよくなった。
ゼイキンが払えるということほど安心なことはない。
こうなったら、夏休みの昆虫展か何かで頑張って稼いでみようと思う。その次のゼイキンが目標というか、励みになる。
- 1月27日 ~ 記念切手 ~
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フランスでファーブルの記念切手が発行された。没後百年。
ファーブルの記念切手がフランスで発行されるのはこれで二度目である。
前回のは、虫眼鏡で観察するファーブルの姿と、たしかフンコロガシの絵が描いてあったが、
今度のはそれよりもっと彩りの美しいものである。
息子のポールが撮ったミノタウロスセンチコガネを観察するファーブルの写真からおこしたもの
と思われる肖像画にエゾシロチョウやスカラベなどがあしらってある。
ところで、そのデザイン画を描いたのが渡辺幹夫さんという、フランス在住の、日本人画家なのであった。
そしてその渡辺さんが、お嬢さんを伴ってファーブル館を訪ねてこられ、この切手や、初日カバーなどを寄贈して下さった。
そのうちファーブル館で綺麗に展示したいと思っている。
※渡辺幹夫氏の個展が吉祥寺の「escalier.C エスカリエ・セー」にて
2月2日(火)まで開催されています
- 1月24日 ~ 春夏中間型のアゲハの顔 ~
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去年の九月にカラスアゲハとアゲハを飼育した。
餌は昆虫館のカラスザンショウにしたのだが、乾くと葉がすぐしおれてしまうので、
上からラップをかけて密閉した。
中は湿度が高い。幼虫も汗びっしょりだったかもしれないが、ともかくも蛹になった。
ところがカラスアゲハがいくつか羽化したあと、残りはみな蛹のまま休眠状態になってしまった。
十二月の中頃、カラスアゲハがさらに二頭羽化。しかし両方とも羽化不全で、翅は伸びず。
棒のよう。
年が明けて一月十日、吹き流しの中に生き物の気配。見ると健康そうなアゲハが羽化。しかし小さい。
春型風だが、少し夏型的な顔にも見える。
野外では得られないのではないか。 - 1月9日 ~ NHKテレビのファーブル ~
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先日、NHKのテレビで「ファーブルもびっくり 夢のムシ技術」という番組を楽しく観た。
ファーブルに扮したのは津川雅彦で、コミカルで風格もあるいい味を出していた。
内容は、昆虫の様々な能力が、現代の最先端の科学技術のヒントになっているという話である。
蚊の口吻は痛くない注射針、トンボの翅の表面の凸凹が小規模の風力発電、
フナムシの足が毛細管現象を利用した水の汲み上げに、
そしてカイコの糸が鋼線と同じくらい丈夫で、強靭な糸の開発に利用されているということを
高解像度の精密な映像で見せてくれた。
ギンヤンマの飛び方のハイスピード撮影の美しいこと。いつまで見ていても飽きない気がした。
ファーブルさんの研究室はいかにもそれらしい雰囲気が出ているけれど、我々虫屋の目から見て意地の悪いことを言えば、欠点が無いこともない。
まず、一番目立つところ、ファーブルさんの背景の標本箱の中身が、フィリピンのアカネアゲハと中南米・南米のトンボマダラ、ヘリコニウスにタテハ類、そして別の箱のトンボの横向きの標本というのは、もう少し工夫してもらいたい。
それとファーブルの名前の表記はジャン=アンリ・ファーブルがいいと思う。ジャン・アンリ=ファーブルとなっていたように思うが、惜しいところ。
ともあれ、こんな楽しい番組をもっとやって欲しい、と私は思った。
(編集部註)写真と番組の内容は関係ありません